Friday, September 4, 2015

The Importation of Bitter Melon (Tsurureishi 錦茘枝) to Japan




It is fun to study religion and food. For example, Yinyuan is associated with Ingenmame 隐元豆. I don't know if the importation of Tsurureishi 錦茘枝 to Japan is also connected with China. Dr. Yang Kuei-hsiang did some research and confirmed that it was indeed brought from China through Ryukyu (Okinawa) during the Ming dynasty. it seemed to be an exotic plant in Edo Japan and even Confucian scholar Kaibara Ekken 貝原益軒 recorded in his book on flowers and plants.

Dr. Yang sent me below:


原産地は南アジア.14-15世紀に明時代の中国を経由して沖縄王国に伝えられ,15世紀初頭には日本に伝来したと考えられる.室町時代の装剣金工家,後藤乗真(1512-1562)の作と伝えられる笄(コウガイ)にニガウリの割れた実をモチーフにしたものがある.

慶長 8年(1603)に出版されたイエズス会宣教師編『日葡辞書』にニガウリの名がヘチマ、タウマメ(ソラマメ)、タウキビ(トウモロコシ)、ニンジンと共に初出している.また林羅山(1583~1657)の多識篇(1612年)には栽培の記載があるので,本州でも400年以上の栽培の歴史がある事になる.

貝原益軒の「大和本草(1709年)」,「菜譜(1704年)」及び,寺島良安の「和漢三才図会(1712年頃)」には「苦瓜(錦茘枝・ツルレイシ)」として記載され,「南方から来た.ぶつぶつとした疣のある,レイシに似た実をつける.緑のうちは苦くてうまくない.熟して黄色くなると割れて赤い種が見えるようになり,観賞用になる.また甘いので子供が喜んで食べる.」と書いてあり,南国では食用にしているとは認識していたが,むしろ観賞用の植物と考えていた事が裏付けられた.


名の由来は、ムクロジ科のレイシの果実に似ていて、蔓(つる)性から、ツルレイシの名になった ニガウリは、漢名の苦瓜(にがうり)からそのままついた。

中国へは、明(みん)時代に伝わったとされ、本草綱目(1596年頃)には、苦瓜(くが)の名の記載があり、日本への渡来は、多識編(1612・林道春著)には、豆留礼志(つるれいし)の名で出ていることから、それ以前に渡来したとされる

花譜(かふ・1694・貝原益軒著)には、錦茘枝(つるれいし)、苦瓜(にがうり)と呼ぶという記載があり、元禄以前から広く栽培されていたという


種子の外側の果肉が甘いことから、古くから食べられていて、鹿児島ではニガゴイ、長崎はニガゴウリ、熊本はニガゴリなどの別名がある。

沖縄本島ではニガウリのことを「ゴーヤー」と呼ぶのが一般的で、宮古島(宮古方言)で「ゴーラ」、八重山(八重山方言)で「ゴーヤ」、熊本県をはじめとする九州の大部分では「ニガゴリ」又は「ニガゴーリ」、鹿児島県奄美大島では「トーグリ」、長崎県諫早地方、鹿児島県本土では「ニガゴイ」などと呼ばれている。諫早地方では「ニガウイ」の名称も併用される。

中国語では 苦瓜 (kǔguā、クーグア)や 涼瓜 (liángguā、リァングア)などと呼ばれ、広東料理、台湾料理などで日常的に食用にするだけでなく、焙煎してお茶として飲用することもある。広東語では菩薘‎(pou4 daat6、ポウダーッ)と呼ばれる場合もある。 英名の bitter melon も苦い瓜の意味である。




Copied from a blog posting at http://hanamoriyashiki.blogspot.com/2010/07/blog-post.html.

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